才能
才能がある、と言われる回数が多くなった。
しかし未だに何も為せていない。
自分の何に期待しているのか。
仮に才能なんてものがあるなら、それで今すぐ苦しい環境から逃げ出したいよ。
どこまでいっても凡夫なんだろう。
ぼろぼろ
新しい環境で3ヶ月働いた。
心を何度も折られ、ボロボロになってしまった。
生きていたくない。
死にたい。
お高くとまるよりバカやってみる
人からの信頼を勝ち取れるのはアグレッシブで低姿勢なパフォーマーだ。
技術が優れていても、お高くとまっていると相手にされないという事例を目の当たりにした。
明るく楽しく生きる
僕は恋人と毎日豊かに笑って過ごすことを夢見ている。
だから、どんな時も彼女のことが一番大切だ。
彼女と過ごす時間を減らせば、その分もっと勉強できたかもしれないと思うことは多々ある。
それでも、その勉強意欲の源泉は彼女との未来を守っていくためだ。
明るく楽しく生きるために必要なことはなんだろうか。
それはまず、1日1日を楽しくする努力をしていくことだ。
好きな仕事ができて楽しい。自分を高められて楽しい。
彼女と過ごせて楽しい。
本を読んで新しい知見が得られるのが楽しい。
素晴らしい風景を見るのが楽しい。
今を全力で楽しみ、生きること。
我慢して生きるのではなく、この一瞬を最高に楽しんで生きること。
そうしてたどってきた道こそ、楽しかった人生になる。
修行のような日々とは今日でおさらばしようじゃないか。
明日からの僕は、最高の日々が待っているのさ。
他人と比べないこと
他人と比べないためのマインドセットはどうすればいいのだろうか。
自分の場合はカウンセラーの先生に言われたように、自分に「声かけ」をしてあげるのが一番いいと思う。
「まあちゃんは、他人と比べる必要なんかないんだよ」
「まあちゃんは今までたくさんの試練を乗り越えてきたよ。まあちゃんはそれだけでもとてつもないパワーを持っているよ」
「まあちゃんは夢に向かって突き進む力があるよ。でも、力つきる前にちゃんと休む必要があるよ」
自分の中で頑張っている小さな子供の自分に向けて、大人の自分がしっかり声をかけてあげることが大事だ。
自分を虐めてはいけない。自分を大事にできない人間は、愛する人のことも大事にできなくなる。
ひいては周りの人間も大事にできなくなるのだから。
自分を大切にするためには、まずは他人と比べるのをやめることだ。
将来に向かって自分だけの道を一歩ずつ歩んでいけばいい。
道は他人が用意するのではない。自分だけの道を切り開いていくんだよ。
長いスパンで考える
目先の評価に囚われて、自分自身の才能を長い目で育ててあげられないのは残念な話だ。
しかし、そもそも僕は自分の才能がなんなのか未だによく把握していない。
恋人もや友人や上司は、僕の中に「伸びしろ」なるものを感じているみたいなのだけど。
当の本人がその才覚に目覚めていないというか、過大評価されている気がしなくもない,,,
一体才能ってなんなんだ?僕の才能って一体。
私的好奇心や己を高める欲求は強い方だと思う。
本を読むのが好きで、暇さえあれば本を読みふけり、知見が広がることに喜びを感じる。
ホリエモンやイケダハヤトのブログを読むのも好きだな。
凝り固まった日常を解すような知性を感じる。
自分の物差しで自分を測る
他人からの評価に依存して生きていると、四方八方にいい顔しなきゃいけなくなって苦しくなる。
あいつは自分のことを嫌ってないだろうか、ああまたこんなミスをやらかしてしまった、同僚のあいつはこんなに頑張ってるのに、とか...
そういった発想は自分で自分を追い込むことになる。自分を追い詰めてみたところで成果が上がるわけではない。
社会人になると、死に物狂いで努力しても全然結果が出ないことなんてザラにある。もっと気楽に構えよう。
そのためにはやはり、自分の中に自分を評価する基準を作ってあげることが大事だ。
常に努力しろと自分を虐めていると、どんどん生きるのが嫌になり、夢も叶わなくなってしまう。
自分を肯定し、気楽に構え、笑顔で生きること。
それはこの先生きていく上で、技術や頭脳などよりもはるかに重要なスキルである。
そうは言うけれど、今まで散々人と比べられながら生きてきたのに、いきなり自分で自分を肯定してあげろだなんて難しいなというのが本音だ。
他人と見比べながら生きること自体が、大量生産された労働力として洗脳されている証拠なのだろうか。
そんな自分を救えるのは自分しかいないのだ。
自分の物差しで生きよう。
僕の目標は、自由を手にするフリーランスのストラテジストだ。
自由をこの手で掴み取るのだ。